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【ふくしま復興・応援プロジェクト③】震災の経験を振り返って思うこと キャリアコンサルタント

キャリコンインタビュー

2024.08.12

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キャリコンサロン「ふくしま復興・応援プロジェクト」のインタビュー企画第三弾です。

 

このプロジェクトは、東日本大震災の復興支援を目的として「私たちができることで福島を支援しよう」と声が上がって、2023年夏に十数名のメンバーが集まりました。これまで何度もディスカッションを重ねて、2024年から具体的なアクションがはじまっていきます。

第3回は、米澤さんにお話を伺いました。 米澤さんは東日本大震災を福島県で経験し、強烈な地震の光景を目の当たりにされました。自宅の被害は軽かったものの、放射能の影響を受ける地域であり、日常を取り戻すには長い期間を要されたとの事です。 生活を取り戻されるなかでキャリアコンサルタント資格を取得され、キャリコンサロン代表の塚田さんからのお声がけがきっかけで、福島復興のプロジェクトに参加しています。

 

第一弾(渥美敬之さん)はこちら⇒ 震災の経験とキャリコンネットワークの広がり

第二弾(児山満寿胤さん)はこちら⇒ 私の福島復興への思い

「米澤さんの自己紹介をお願いします」

生まれも育ちも福島の郡山市です。地元で短大を卒業し、これまで転職で5回仕事が変わるなかで、人事系に興味が湧くようになっていきました。
40歳を過ぎてキャリアコンサルタント資格を取得し、現在はオンラインで東京のベンチャー企業の社員をしています。副業もしていて、ハローワークや厚労省の仕事に携わっています。
子どもは2人いて、震災時は上の子は小2、下の子は2歳でした。

「キャリアコンサルタントになったきっかけを、詳しく教えていただけますか?」

3社目での経験が大きなきっかけになりました。その職場では、人事や採用に対して大きな違和感を持っていました。同僚が毎日会社の不満ばかりを口にしていました。私は管理職だったので、辞めたいという悩み事を聞く立場だったのですが、そういった環境に悩んで自分も退職しました。

その後、人事や採用に関わりたい、働く事に悩んでいる人を手助けしたいと思い、何か資格を探し、見つけたのがキャリアコンサルタントでした。
ちょうどコロナ禍で子どもの行事や土日も予定がなくなり、テレワークが増えたこともあり、これは資格取得のいい機会かなと思い、取得することを決めました。

「参考までにこれまではどのような仕事をされてきたのか、簡単にお伺いできますか?」

「高校時代に震災を経験された児山さんですが、高校卒業後、福島から東京の大学へ進学されました。その時はどのような心境だったのでしょうか?」

これまで5社で仕事をしました。
1社目は銀行。2社目は子育て中に派遣社員として別の銀行で勤めました。
3社目が前から興味のあった医療事務の資格を取得し、地元の総合病院に転職。
4社目は地元発祥のラーメンチェーンの正社員。併せてキャリアコンサルタントの資格取得。この4社目はまったく辞める気はありませんでした。上場企業だし、定年まで働こうかなって思っていましたが、たまたま声をかけられ色々考えた末に、5社目である転職に向けたキャリアコーチの会社に変わりました。

「5社の経験を振り返られた時に、特に転機になったタイミングを教えていただけますか?」

3社目の総合病院での経験が、キャリアコンサルタントとして、現在の道を歩むきっかけになりました。
銀行からキャリアチェンジして10年経っていたのですが、医療秘書は自分に合っている仕事だと感じていました。実務で覚えるべき内容がすんなりと頭に入ってくるし、指示を先読みして動いていました。先ほど職場の環境に悩んだとお伝えしましたが、仕事内容だけはとても自分に合っていました。本当に天職だと感じていたくらいです。

その総合病院で勤めて、1年目の時に東日本大震災が起きました。
あの日は、午前中だけ仕事をし、午後は子ども達の耳鼻科の予約をしていたので、子ども2人を連れて近所のクリニックにいました。診察室の前で、次が私たちという時に揺れを感じました。
最初は地震かな?みたいな感じだったのですが、揺れが長いしだんだん大きくなって、本もバサーッて落ちてきました。
下の子どもは2歳だったので、抱きかかえて走って、病院のスリッパのまま外の駐車場に出ました。
周りの建物も、ぐわんぐわんと激しく横に揺れていて、子どもは「うちの家、絶対崩れるー」ってわーっと泣き叫んでいました。

もし半日休みではなかったら、子どもと一緒にいられなかったと思うと、本当に幸運でしたね。
自宅に帰っている途中も何度も揺れました。自宅は大きな被害が無く残っていましたが、両親が心配だったこともあり、一週間くらい実家に避難しました。
テレビ中継をずっと見ていましたけど、その間も何回も揺れるから、外に避難したり家に戻ったりしながらテレビを見ている状態でした。

当時は原発事故と聞いても、そんなに大変なことだとは思いませんでした。チェルノブイリ事故も何となくは知ってましたけど、「あの事故とは全然違うだろうな、自分には関係ない」と思っていました。
しかし徐々に、みんなが「これは只事ではない」と口にするようになり、報道内容に対する受け止めも変わってきました。私も「これはもう大事故だ」と、事の重大さを認識するまでに3日はかかったと思います。
私と夫は仕事があるので、県外に出ることは考えていませんでしたが、家族会議で、『もし3回目の爆発があったら、子どもたちと両親は県外に避難する』ということは決めていました。
郡山市は、大きな被害はありませんでしたが、日常を取り戻すのに1年はかかりましたね。

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※燃料を求めて並ぶ人の様子

原発事故があったことで、福島産のものを食べていいのか…という葛藤があり、暫く福島県産は避けていましたね。「子どもたちに食べさせても大丈夫」と思えるまで5~6年かかりました。放射能による食べ物への影響が心配で、子ども達は年に数回エコー検査を受けていました。そのエコー検査も当初は義務制でしたが、現在は任意で受ける仕組みに変わっています。

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※汚染された土壌を埋めている様子

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※エコー検査を受けている様子

他には、学校でも外で行う行事が全てなくなりました。子ども達は、屋外で遊ばせることもできなくなりました。外で遊びたい時は、車で遠くまで行って遊ぶという生活を送っていました。

「東日本大震災を振り返って今思うことはありますか?」

「よくここまで普通の生活に戻れたな」と思います。
もしかしたら、放射能をすごく浴びて私たちは病気になっていたかも知れない、と思うことがありますが、実際は、周りに甲状腺の癌になったような方はいないです。
当時はたまたま隣の方が、セブンイレブンのパンを作ってる工場長で、パンを大量に持ってきてくれたり 地域の人と水を分けあったりなど、連携・助け合いっていうのが、とてもありがたかったです。家族や周りの人々との助け合い、繋がりが大切だとより一層感じましたね。
それが今の仕事、キャリアコンサルタントという仕事に繋がっているのかなと思います。


米澤さんのこれまでのご経験、家族を守るために奮闘されていた事、改めて人との繋がりを大事にされているということが、よく理解できました。ありがとうございました。

インタビュー:
キャリコンサロン「ふくしま復興・応援プロジェクト」メンバー
・岡橋侑司/奈良県/経歴:通信企業を経て、個人事業主として人事とIT分野で活動中/プロジェクトに参加したきっかけ「就職活動中に震災が起き、当時活動出来なかったので、何か貢献したかった為」
・加瀬和美/千葉県/経歴:フリーランスとして現在は、大手メーカーデバイスの品質保証サポートを行っている/プロジェクトに参加したきっかけ:「千葉県でも津波の被害があり、災害は明日は我が身という思いから何かしたいと思った為」