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事例インタビュー
2024.12.12
キャリアコンサルタントコミュニティ「キャリコンサロン」のメンバー限定企画。
被災地支援に人生をかけることができるのはなぜか。支援活動の根底には小玉さんの壮絶な体験がありました。対人支援する私たちだからこそ、小玉さんの生き様や想いに触れてほしい。そんな想いで本イベントが企画されました。
日時 | 2024年2月12日(木) 20:00~21:30 |
開催形式 | オンライン開催 |
参加者数 | 15名 |
スピーカー | コミサポひろしま 小玉 幸浩氏 |
企画・運営 | 鈴木 美穂子、三好 光秀、山本 理恵(キャリコンサロン旅部) |
コミサポひろしまの代表として、全国の被災地を支援。
能登にも地震直後から現地入りされ、今も継続して活動されている小玉幸浩さん。
-大きな被害にあってもそこでの生活を諦めたくない住民の方の想いに応えたい-
小玉さんは強い意思を持って、能登での被災地支援を続けています。
とはいえ、家族を広島に残し、何ヶ月にも渡り被災地に住み込む支援活動。
被災地支援に人生をかけることができるのはなぜか。
その答えは、小玉さんの今までの経験にあります。
暴力団の組員だった過去、薬物で逮捕、介護の現場での出会い、喪失、地元広島の災害。
壮絶な体験の中で受けた恩を今度は自分が返したい、支援活動の根底には小玉さんの人生がありました。
恩返しの中で自分の軸を見つめ直していくという小玉さん。
「支援を必要とする被災者がいるかぎり 最後まで支援を続ける」
金髪の強面とは裏腹に!穏やかでうんと優しい小玉さんの能登での支援活動のリアル。
人生という旅のヒントになってくれるはずです。
もうすぐ発災から1年になる能登の今、被災地支援のこれから、被災地支援にかける小玉さんの生き様を語っていただきました。
【能登の現状】
あられ・雹が舞い、寒さが厳しくなりつつある能登、発災から現状までをお話いただきました。
・重機を広島から運び1/9から能登入り。他の団体が入っていない輪島に入り、道路啓開から始めて徐々に倒壊家屋からの貴重品の取り出し、屋根にブルーシートをはる作業、9月の水害以降は床下の土砂だしなど、被災者の方のニーズにあわせて支援をしている。
・やっと入れた仮設住宅が水害に遭って避難所暮らしに戻っている人もいる。避難所生活は過酷なので、雨漏りしているくらいの家であれば戻りたいという人が多く、ブルーシートをはってほしいというニーズは高い。ただ、能登の不安定な冬の天候が影響して、そう簡単には作業ができない。被災者の方から直接ニーズを聞くだけに、何とかしたいが何ともできないジレンマがある。
・ブルーシートをはる家屋の外側の支援だけでなく、倒壊した家屋の中にある貴重品を取り出してほしいという依頼も多い。周りから見ればゴミのようなものでも、依頼者にとってはひとつひとつに思いいれがあり、大切なものであるということは支援するときに大事にしている。
【印象に残っている支援】
・「わじまんま」という自宅兼居酒屋がビルの倒壊に巻き込まれ、奥様と娘さんが亡くなった方から、奥様からもらった時計と娘さんの携帯を探したい、という依頼をうけた。支援に入ったタイミングでは、マスコミに多く取り囲まれていた。見世物じゃないという思いもあり、自分たちが支援するときは、周囲からの目隠しの意味も兼ねて作業現場にはカーテンのようにブルーシートはって作業をした。折り重なるがれきの山々・・・重機が入らないところを丁寧に作業をすすめた。その中で、奥様のピアスが見つかったり、ぺしゃんこになった娘さんのキャリーバックやiPad・・・がれきの山の奥にちらっと携帯電話のコネクタ部分が見え、小さなスペースをちょっとずつ引き出して、やっとの思いで携帯電話を取り出すことができた。それが四十九日の直前、取り出すことができて本当に良かったと思った。
・災害関連死の人数が増えてきているも気がかり。発災当初にボランティアで関わった人など、身近なところでも亡くなっている。
【小玉さんの原動力】
・暴力団から40歳手前に足を洗い、鳶の仕事をしていた時に覚せい剤をやめられずに4回目の刑務所へ。出所した時、自分には何も残っていないと感じてふらっとハローワークに行き、ふと「残りの人生、人のために生きてみるのもええんかな」と思い、お金をもらいながら資格が取れるという介護職に飛び込んだ。
・介護の実習を経て、首と指先しか動かせないながらも電動車いすサッカーに夢中な佐田尾さんに出会い、その生き様に衝撃を受けた。介護を始めたときは2011年。東日本大震災の時に津波の映像を見て「日本人なら、ボランティアにいかんといけんよね」という言葉が、ぼそっと自分の口から出たのを覚えている。
・介護を始めて3年目に佐田尾さんが亡くなり、喪失感から家に引きこもっていた時に、地元の広島で広島土砂災害が起こり、東日本大震災の時に口にした「ボランティアにいかんといけんよね」という言葉を思い出し、ボランティアに向かった。それが最初の一歩。
・広島土砂災害のボランティアセンターが閉まるとなった時に、まだ全然復興は終わってないだろう、ということで当時の仲間たちと立ち上げたのが、コミサポひろしまの始まり。
・介護職の資格を取るには実習に行く必要がある。半袖半ズボンで参加するよう言われたが、全身刺青なのでいけない・・・と相談して派遣された実習先が、老人施設の傾聴だった。終日お年寄りの傾聴をして、老人介護は向かないなと思った思い出もあるが、今はお年寄りの言うことは絶対に聞いてあげたい、という強い気持ちがある。
・過去の被災地で、傾斜がきつい茅葺屋根にブルーシートをはるノウハウがない、ということで被災者の依頼を他の支援団体が断ったことがあった。被災し、やっと来てくれた支援団体にまで断られたという被災者の気持ちを考えたら、自分たちは断れない。もちろん自分たちも茅葺屋根にはる経験もノウハウもない。けれど、できないとは言いたくない。わからないならわからないなりにできるし、わかる人に聞きながらやればいい。そうやって思えるの、自分たちが経験を重ねてきたからかと思っている。
・人のためにと思って飛び込んだ介護職、そこから形は変わったが、人のために生きているからいいかと思っている。
・人生の罪滅ぼし。原動力とまでいえるのかはわからないが、色んな人を泣かせてきたので、これからの人生を人のためにと思っている。
【未来】
・自分たちは部外者で地元の人ではないから、いつかは被災地を離れる。けれど、被災者のニーズは何年も続く。ブルーシートをできるだけ長持ちするように張ったりしているが、いつかは朽ちてきてしまう。引き継いでくれる地元の人たちがあらわれてくれるのが理想。若い消防士さんたちが、夜勤明けなど時間を作って作業を覚えにきてくれたりする。自分たちは被災地を離れるからこそ地元で支援が継続できるように、若者・学生など後進を育成することを意識した支援を進めている。被災地だけでなく、コミサポひろしまでも、若いメンバーが自分の背中を見てくれている。
・自分は、無口なので「作業を見て覚えろ、わからないなら聞いてこい」という昔気質。だが、周囲にわかりやすく教えてくれる人がいる。
・若い人の育成という意味では、災害支援が若い人が憧れる職業であってほしい。お金が発生しない、と目指す若者は少ない。若い子が育つにはお金が必要。今もまともな給料も払えていない。まともな給料を払えるようになると、若い人たちが来てくれるんじゃないかと思っている。
【QAセッション】
事前に寄せられた多くの質問には講演の中のやりとりで触れていただき、参加者から直接、質問をぶつけ回答いただく時間になりました。
Q:災害時に準備しておいた方がいい、と小玉さん目線で思われるものはあるか。
避難食とトイレ。特に、携帯トイレは必ず準備しておいた方がよい。トイレはどこかでできるだろう。と思っているが、できない。水が流れない。最初のころは行政が置いた仮設トイレも流れず、外の雪を集めて溶かして何とか流したりもした(こちらも壮絶なお話でした・・・)。
Q:ハローワークにふらっと行ってみようと思ったのはなんだったのか。
残りの人生を誰かのために、とふと思った。覚せい剤の影響は大きい。やるつもりはもちろんないが、目の前にあったら絶対にやらないといえるまでの自信はない。今はやめている、という言い方しかできない。今はいろんな人と繋がっているからやってはいけない、という意識もある。
Q:福島の復興支援に関わっていて、支援したいという気持ちでいっているが、わがままなのか、無償の愛として受け入れるのかの葛藤がある。小玉さんはそういった葛藤はないか。
熊本の支援にいった時、ブルーシートを何度はっても雨漏りがとまらない家があり、正直、わがままだなと思った部分もあり、まだ経験が浅かったのでこれ以上どうしたらいいのだと悩んだ記憶がある。いま振り返ると、もっと雨漏りをとめられるようにできることはあったし、経験則で解決できることもある。だからこそ、できない、とは言いたくないという気持ちにもつながっている。
■私も震災があった宮城県石巻市の出身です。小玉さんのような義勇の方々に支えていただいた実感があります。
■支援の在り方について考える機会になりました。
■きっかけを転機にできるのかすごく重要な事だと改めて考えさせられました。被災地支援がなりたい職業1位になる。事前災害の多い国でそうなっていけると素晴らしいなと思います。できることはまだまだ多そうです。
■被災地支援と一言に言っても、どこまで一人ひとりに寄り添うかは違いが大きいなと思いました。それは被災地支援に限らず、日々の生活や仕事の中でもどこまで相手のために尽くすか、尽くせるか、考えるきっかけにもなりました。
■どんな信念をもって生きるか、自分の軸を振り返ることができた。
■ブルーシートをはる、ものを取り出す、言葉では理解できても現実の作業の繊細さに気持ちが及んでいませんでした。災害の多い国で、多くの被災地を報道では見ているのに、まだまだ他人事でした。寄り添う、と、私はたやすく口にしてしまっていますが、無口な小玉さんはその繊細な作業と背中でまさに寄り添ってるのだと思うと、改めて、寄り添うとは、と考えさせられました。
■全て実体験された内容で、小玉さんの本心から発せられた想いが伝わってきました。
また、私たちキャリコンも人との関わりの中で得られる本当の意味での「人的支援」に大変共感する部分を感じました。
■どんな大変な中でも、一人ひとりを見て・寄り添う姿勢は、人を勇気づけて、一歩踏み出すための原動力になると改めて感じました。そして、それを実践し続ける小玉さんがすごいです。「できないとは言いたくない」とおっしゃった言葉に、それを言った方の想いをくみ取り応えたいとの強い思いを感じました。
■リアルなお話をありがとうございました。支援される側の視点を意識しようと思いました。
■人は変わることができる。信念を持てば少々の困難があっても生き方の本質にブレはない
■遠く離れた場所から、関心を持ち続けることの難しさに気づかされました。思いを重ねて想像することの必要性。それをどう行動につなげていくかを考えさせられました。
■「変わる」「変える」転機には本人の湧き出るような思いが必要であること。思い、気づきがあれば、人はどうにでも変われる。全てに意味がある。過去がどうあれ、援助を受ける側も援助する側も「今ここ」、目の前、人・人間としての関わり。心は伝わる。救援物資よりも大事なものがある。
寒さ厳しい能登から、決して饒舌とはいえないながら語られる一言、一エピソードに、引き込まれ、涙しながらのあっという間の90分でした。壮絶な人生経験と、ふと感じた「残りの人生、人のために生きてみるのもええんかな」という想い、突き動かされるように赴いた被災地での経験。作業されるその背中、姿勢が、支援を受けた方々の次の一歩につながるのだとひしひしと感じました。また、想いはあっても、想いだけでは続かない、続けられるしくみがないと続かないという難しさについては、対人支援をするキャリコンサロンメンバーにも、共通で頷けるものがありました。
ぜひ、一人でも多くの方に小玉さんの活動を知っていただき、支援いただきたいです。
【コミサポひろしま】 https://mtkailashtibet2001.wixsite.com/mysite
【小玉幸浩の来た道(動画25分)】https://www.youtube.com/watch?v=-d4GHRuUG6k
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